先日、著者の方のお話をオンラインの講座で聴いて、とても興味を惹かれたので、この本を読みました。読んでみた感想は…とても良かったです!私たちデモクラティックスクールの教育感と、重なるところが多いのです。もともとのオンライン講座は「投票率85%を超えるスウェーデンの主権者教育」についてがテーマで、例えば環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんのような人が、日本ではすごい人のように扱われるけれども、スウェーデンでは、彼女は多少目立つ存在ではあるけれど、スウェーデンの教育を受けたら、ああいう生徒がいるのは普通のことで何も特別ではない、というお話しだったのですが、本を読み終えて、それに心から納得しました。
たくさん共感した部分があるのですけど、中でも実感を持って「その通り!」と思ったのは、「なぜ法律があるの?」という部分です。皆さんなら、どう答えますか?中身を抜粋しますね。
「なぜ法律があるの?」 社会は法律や規則がなくてもうまく機能するかもしれません。それなら、「なぜ、そんなものがあるの」と尋ねたくなるでしょう。確かに、私たちはみんな、他人のモノを盗んだり、他人を殺したり、脅したりしてはいけないということを、どこかで学んで知っています。 それでも、すべての社会には法律と規則が必要なのです。交通面で言えば、交通規則がなければおそらくまったく機能しないでしょう。社会も、少しそれに近いのです。法律や規則は、社会に生きる私たち同士が協力しやすくするものなのです。 社会でもっとも大切な法律は、私たち人間の権利と民主制にかかわるものです。これらの法律は「基本法」と呼ばれています。「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」(国際連合の「世界人権宣言」第一条)<考えよう!>「すべての人間は、生まれながらにして自由」というのは、どのような意味でしょうか?これは、すべての人間がやりたいことをやれる権利ということでしょうか?
なかなかじゃないですか?これ、小学校の社会の教科書なのですよ。世界人権宣言まで出てきて、「生まれながらに自由とは?」なんて問いかけちゃう。いいですよね。(世界人権宣言については別のところにも、もう少し詳しく書いてあります。)
この中で私が特にいいなあと思うのは、「法律や規則は社会に生きる私たち同士が協力しやすくするもの」という部分です。人を縛るためのものではないのですよね。国を守るための「義務」ではなく、私たちの「権利」を守るためという感じです。
ここで、まんじぇの話をすると、まんじぇにはたくさんルールがあります。体験などで初めて来る人には、まんじぇのルールに目を通して、それを守るつもりで来て欲しいとお願いしています。(生徒及びスタッフからのリクエストです。)それでも、守ろうとしない人がたまにいるし、最初のうちは、守るにしても、仕方なく…という感じの人がちょこちょこいます。なぜか?それは、ほとんどの学校で、ルールといえば大人が勝手に決めたもので、自分たちには変えたりすることはできず、一方的に押し付けられ、守らなければいけない、そういうものになっているからではないでしょうか?
でも、そういう感覚でまんじぇに来た子たちも、しばらくいると「ここでのルールはちょっと違うみたい」と気づいていきます。そう、この教科書に書かれているように、このコミュニティの中で「私たち同士が協力しやすくする」ためのルールであり、一人一人の自由を、人権を守るためのルールだということが、だんだん実感を伴って分かってくるからだと思います。
デモクラティックスクールの教育とスウェーデンの教育が重なるのは、「子どもの人権」を大切にしているという部分が大きい気がします。(本当は「人権」と言えば、そこには子どもの人権ももちろん含まれるはずなのですけど、日本では、わざわざ「子どもの」とつけないと大人と同じ扱いをされないことが多いので、ここでは付けました。)もう少し本から抜粋します。
民主的な学校 昔と今の学校では、似ているところもあります。たとえば、読み、書き、計算が大切であることは、昔も今も変わりません。 ただし、今の学校では、生徒の意見を聞き、彼らと話し合い、彼らにかかわる決定に影響を与えるのが先生や職員の仕事となっています。この点は、昔とは違う大切なことです。 このような「聞いてもらう権利」は、学習指導要領に定められています。つまり、すべての生徒は、生活に関する規則について話し合い、決定することなどができるのです。 学校における決定に影響を与えることができるというのは、大切なことです。そこで生徒たちは、民主制の機能の仕方を理解するのです。学級会では、民主制の練習をすることができます。そこでは、すべての生徒が自分の意見を表明する権利(表現の自由)をもっています。民主制はまた、もっとも多くの票を得た提案が勝利し(多数決)、それを受け入れる仕組みとなっています。
日本の学校では、「すべての生徒が」生活に関する規則について「話し合い、決定することができ」ているでしょうか?もしかしたらいまだに「昔の」学校のままだったりしないでしょうか?こちらの図を見てください。
日本財団「18歳意識調査」第20回 テーマ:「国や社会に対する意識」(9カ国調査)
自分で国や社会を変えられると思っている18歳が日本では5人に1人以下、他の国と比べてずば抜けて少ないです。本の中で「学校における決定に影響を与えること」で「民主制の機能の仕方を理解する」と書かれていますが、多くの子がそういう体験ができていないのではないでしょうか?それがこのような意識調査の結果にも現れているのではないかと思うし、選挙の投票率の低さにも関係していると私は思います。 昨日は日本のあちこちで選挙がありましたが、まんじぇの近辺では岩倉市長選が投票率32.94%(2/3の人が選挙に行っていない)、岐阜県知事選の投票率が48.04%(半分以上の人が選挙権を放棄)。コロナ禍の下、お天気も悪かったとはいえ、これで民主主義は大丈夫なの?と思います。教育から変わらないといけないと思うのですけど、みなさん、どう思われますか?(スタッフ:きょうこ)
<おまけ> この本の中には他にも私がいいなあと思った部分がたくさんあるので、もしかして興味がある方のために少しだけ付け足しておきますね。グレタさんは特別じゃないということが、少し分かるのではないかと思います。いいなあと思った方はぜひ本を全部読んでみてください。
最後の最後に…これは大学生向けではない、小学生の教科書だということをもう一度思い出してください(笑)。「黙って大人のいうことに従いなさい」みたいな雰囲気は全く感じられないですよね。デンマークに暮らした日本人親子が学校の懇談会で「学校はお子さんに必要なことが全部できていますか?」と聞かれてびっくりした、という話がありました。子どもの学ぶ権利を保証するために学校があること、権利であって義務ではないということ、日本の学校にも、この感覚がもっと広まってほしいものです。