去年の記事ですが、「公園マナー」なるものに関するベネッセの記事を読みました。(記事が気になる方は「幼児期の子どもに教えたい公園マナーとは?」で検索してみてください。)「公園で守らなくてはいけないマナーを教えてあげましょう」と、いろんなことが書いてあります。全部読んで、正直「うへぇ~!」って思いました。例えば「まずは一緒に公園で守らなくてはいけないマナーを教えてあげましょう」として、こんなことが書いてあります。
●公園内にいる、他のお友達と仲良く遊ぶために必要なマナー
続いて、遊具についての「注意点」はこんな感じです。
【ブランコ】
【すべり台】
【スプリング遊具】
【シーソー】
親はこれらをみんな「ちゃんと教えて守らせなきゃ」なんて思ったら、公園に行く気がなくなりませんか?子どもも、場面場面でこんなに注意されたら、もう公園が楽しい場所じゃなくなってしまいませんか?
子どもたちと関わる仕事をするようになって長いですけど(早30年超)、その中で、大人の顔色をうかがう子、大人の許可がないと動けない子、そういう子が確実に増えていると感じています。こんな記事が、こういうメジャーなサイトでシェアされている状況と私は無関係ではないと思います。
人は自分自身の体験を通してしか、本当の意味では学べないんじゃないかと思います。例えば「順番を守る」ということなら、「自分が待っていたのに、横入りされて悲しかった」とか、早くやりたい気持ちから無理矢理入り込んだら、他の子に怒られて楽しく遊べなくなった」とか、そういう経験を繰り返す中で自然に分かってくることだと思います。そういう経験から学んだ行動と、誰かに正しいと認められるためにする行動では、パッと見たところ同じに見えるかもしれないけれど、内面的なものは全く違うでしょう。時々耳にする「それはやっちゃいけないんだよー!」なんていう他の子を責めるような言葉は後者の子からしか出てこないのではないかしら?「○○くんが○○してます!」といういわゆる「言いつけ」も同じく。そして、後者の一番のデメリットは認めてくれる人がいないと意味がなくなるということだと思います。
遊具の使い方も、ここにやらないようにと書いてあるようなことって、「子どもの頃にやったわ~」っていうもの、皆さんもたくさんあるのではないですか?確か「遊びが学びに欠かせないわけ」の著者で元ボストン大学発達心理学教授のピーター・グレイさんが、ちょっと危ないことをわざわざやる心理は、そうやって「危険に立ち向かって克服した」という経験を積むためだとおっしゃってました。人類にとって生きている間に出会う数々の危機的状況に対してあきらめたり、すくんで立ち止まってしまう人しかいなかったら生き延びられないから、だからわざわざそんなことをするのだと。もちろん、ときには怪我をすることもあるでしょう。でも、そういう経験から「これ以上はヤバそうだ」という感覚を掴んでいったり、もちろん成功時には自信をつけることでしょう。このサイトに書いてあるように、先回りしてあれこれ禁止したら、怪我は減るかもしれないけれど、そうやって指示してくれる人がいないと、不安になったり消極的になったりするでしょうね。その結果が「大人の許可がないと動けない」だと思うのです。
本当はこういうの全部、公園に限らないのですけどね。まんじぇでは失敗を経験する権利を大切にしています。というか、本当は「失敗」なんてない。どれも次のステップにいくための1つの経験でしかない。そして、それは「ホラ、言った通りでしょう?」なんてことを言う人がいないこと、自分が選んで自分で経験することで最大限の学びにな るのだと思います。
(スタッフ きょうこ)