自分の行動の結末を自分で体験する権利がある

 デモクラティックスクールまんじぇでは「危険だから」という理由で、その人個人の行動が制限されることはありません。

 公園のすべり台から飛び降りるとか、生徒だけで近くのコンビニに買い物に行くとか、殴り合いのケンカをする(まんじぇで見たことはありませんが笑)とか、そんなことをするのも自由だし、スタッフがとめることもありません。

 なぜなら、子どもたちには(というか人間には)自分の行動の結末を自分で体験する権利があるからです。それは成功体験だけでなく、失敗やケガも含めてです。

 そもそも成功・失敗というのも、他人が見ることができるのは客観的なものでしかありません。周りから見て失敗だと思っても、本人にとっては満足、あるいは成功までの通過点だと思っているかもしれません。

 それなのに「危険だから」はもちろん、「もっとこうすればうまくできるのに」「そんなことでは将来困る」「無駄なことだ」と言って、他の人や大人が本人の行動を制限したり、取り上げたり、方向付けしようとすると、素晴らしい体験が自分だけのものではなくなってしまいます。

 自分の体験が自分の意思に反して周りから干渉されるという経験が積み重なると、自分で何かを始めたり興味を持つ気持ちがなくなってしまったり、行動の結果を誰かのせいにしてしまったり、失敗することが怖くなったり、というふうになる可能性があるなと思います。

 まんじぇでは子どもたちは誰に制限されるでもなく、自由に自分のしたいことをしながら、自分の学びを追求しています。

 何かにチャレンジし、その結果を受けて、色々と試行錯誤し、またチャレンジしてみる、そんな時間であふれています。

 自分だけの体験を積み重ねて、自分の行動や考えを自分の手でどんどんアップデートしていく、それこそこが「学び」だと思うのです。

(画像は木登りで「昨日より高く登れた!」と満足げな生徒)